自分の言葉で、自分の想いを文で残す

自分の言葉で、自分の想いを文で残す

ブログという形式で自分の想い、思い、感情を形として残していきたい。

自分の考えとか気持ちをこうやって文章にして、つまり形に残るような方法で残していくことについて考えると、なんてすごいことなんだろうって、思いませんか?

感情を具現化するのは難しい

僕らは人間だから、「感情」ってやつを表に出す、つまり目に見える形にして出すのって、毎日毎日当然のごとくやってますよね。だってそれをコミュニケーションって呼ぶんですもんね。

でも、改めて、一歩下がったところからこの「コミュニケーション」をするっていう行為を見て考えてみると、なんて高度なことをして僕らは毎日を生きているんだろうって思います。

だって、本来「感情」って、目に見えない要素なんです。

自分が誰かに「見せよう」としない限りは。

感情表現で社会が成り立っている

「感情表現」という言葉は「コミュニケーション」という言葉に置き換えることができると、僕は思っています。

僕の周りには、感情表現が素直で豊かな子ほど周りの人たちに好かれたり友好関係が広かったり、そんなイメージがあります。実際にそうです。

コミュニケーションの基礎である「感情表現」は人が社会でやっていく、難しく言うなら「社会に適応」するために必要不可欠なものだと思います。それは、僕がそういう子たちを見てきたから。

過度な感情表現はNG

自分を表現するのはいいけど、やりすぎは禁物です。何事もやりすぎるとろくなことがないように、感情表現だってただあっけらかんと我思うままにやってたらそりゃあ、だめです。

世間ではそういうのを自己主張が激しいとか、自己中心的だとかって表現してあまり好かれない傾向にあります。そういうもんです、そういうもんだと僕は思います。

自分の表現は自分次第である

やりすぎは禁物ですが、やはり自分の「感情表現」をすることができるのは自分だけ。どう表現するか?いかに相手に伝えるか?どんな表情、声のトーンと抑揚、言葉で今の自分の感情を伝えるか?これらすべての酌量はあなたにかかっています。あなたなんです。

改めてこういうやり口で感情表現の難しさを読み解いていこうとすると、恐怖すら感じませんか?だって、僕が冒頭でも言った通り、これを来る日も来る日も呼吸をするのと同じ感覚でやっているんですよ!

人間って、神秘の塊です。

僕は人間がいかに高性能でやばい生き物であるのか、こういったことを考えるたびにしみじみと思います。

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